そういえば大事なことを書き忘れてたなぁと思って。
UPしようかどうか迷ったんだけど、やっぱりあげようかな。
よく、「どうしてジョンはニ幕でこういう活動をするようになったんですか?」っていう質問をされて、その度に長い話を
しちゃうんだけど…
まず初めてこの作品に携わることになった時、僕もそれを悩んだ。
ニ幕冒頭で突然始まるから、そこに至った背景は一体なんだろうと…
ずーっとわからなかったんだけど、あるとき一つピーンときたものがあって、それは「あ、ジョンも差別をされてた人なんだ。
だからこの差別されてる子たちを昔の自分と重ねて放っておけなかったんだ」と。
さらに、これはホント難しくて、アジア人ばかりでやってるし、僕もそうなんだけど、日本という島国にいるとどうしても人種の
違いって概念がないから難しくてなかなか伝わらないよなぁと思うからしょうがないんだけど、ジョンて元々の英語の歌詞での
その話し方とか使う言葉がどうも黒人のそれらしいのね。
だったらなおさら納得がいくよね。
あの当時だからジョンが生まれ育ったのは1950年代後半〜1960年代前半。
まだアメリカでは人種差別が酷かった時代。
とても理不尽な扱いを受けて生きてきただろうし、身分的にそんなに学もなかったと思う。でもとてもハングリー精神が強くて、
身体一つでのし上がれることを求めた彼が辿り着いた場所、それが軍隊だったんじゃないだろうか。もちろん時代の風潮もあり。
僕の場合は、英国衣装担当のLeeにも言われたんだけど、顔の系統から、プエルトリコ系だろうなと(笑)
そんな理由だから、軍人であることのプライドや誇りは人一倍あるだろうし、愛国心もあったと思う。
でも、そんなふうに自分が正しいと思ってやってきたことで、結局は自分たちの手で、自分たちがされて一番ツラかった”差別”を
受ける子どもたちを生んでしまった。
そのときの彼の後悔と絶望感たるや、ハンパなかっただろうね。
きっと実際に”ブイドイ”と呼ばれる子たちの収容所に行って対面したとき、彼は子どもたちの前で泣き崩れたと思う。
泣いて許しを乞うたと思う。
言葉の通じない子どもたちに向かって何度も何度も「ごめんな、ごめんなぁ」って。
“ブイドイ”とは、ベトナム語で「靴の裏についた犬の糞にも劣る存在」という意味の言葉。
史実では英語の「アメラジアン」として広く知られている彼らは、サイゴン陥落後、北ベトナムの人たちから
「アメリカとのあいの子」「資本主義の手先め」と罵られ、蔑まれ、迫害された。
社会的にも乞食同然の扱いだった。
男の子たちはやがてストリートチルドレンと化し、女の子たちはレイプされ終いには殺され、その死体が道端にずっと放置
されている。
そんな扱われ方。
彼らが人間として人権を持って真っ当に生きる手段はたった一つ。
アメリカにいる父親の元に行き、そこで”アメリカ人”として新たな生活を始めること、それしかない。
ちなみにこれは”エンジニア”にとってもそう。
フランスとベトナムの混血である彼にとってそうすることはまさに「アメリカンドリーム」だった。
だからジョンは、アメリカ各地で演説をしてる。
父親であるかもしれない帰還兵たちに向けて。
そしてあの時、戦争を後押ししていた全てのアメリカ国民に向けて。
あの子たちを救おうと。
混血の子どもたちの実際の記録として、本物の”ブイドイ”である方が書かれた『憎しみの子ども』(英タイトル:『unwanted』)
という本があります。もし詳しく知りたい方がいたら探してみて下さい。
衝撃の史実に、正直心が抉られます。
でもそんなことが分かると余計に、あの当時反戦運動で代表的になったジョン・レノンの『imagin』がなおさら胸を打つ。
本当にあの歌詞の通りの世界になって、人々が手をとり合って生きていければ、こんなに素晴らしいことはないんだと思う。
そんなことを良ければ少し知ってもらって、また観に来ていただければ、きっと違う視点でこの作品を感じられると思います。
それではまた劇場で。
Rio