ゴールデンウィークも終わりを迎えるうららかな日々、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
リオです。
僕はと言えば昨日まで帝劇にて革命を失敗し続けておりましたが、今、帝劇を飛び出して博多にPR活動をしに向かって
いるところです。
早めに博多に行けるなんて嬉しか~!
さてさて。
まぁ連休も頑張って戦って、公演期間も区切りの良いところまで来たので、この辺で日々皆さんから出待ち等でいただく質問に
お答えしておこうかなと。
その方がこれからの公演もまた新たに楽しめるのかなと思うので。というわけで行きますか。
①リオさん、会報誌やトーク等で、時々突然に大阪弁や九州弁が出てくるのはどうしてですか?(笑)
コレねぇ、まぁイベントの時もちょっと聞かれたんですけども僕、半分、九州は佐賀の血が入ってるんですよ。
母方の実家がそっちで。
なので、まさに今、博多に行けるのが嬉しくて嬉しくて。
なんて言うのかなぁ、他の地方と比べるワケじゃないんだけど、やっぱり博多に公演に行かせていただいたり、そのまま佐賀の家に
帰ったりすると、変な言い方になってしまうかもしれないけど、魂が喜ぶと言うか、心が喜んでるというか、胸の奥の方から、
何だかすごくパワーやエネルギーが湧き上がってきて、何かに護ってもらってる感覚がありますね。
だからとっても好きな場所。
…「あ!だからその顔の濃さなんだ」とか言うな!(笑)
…まぁそうなんだけど(笑)
やっぱり母方の血筋によく似てるらしく、とくに祖父にそっくりみたいなんですよ。
もと武士の家系でもあって、僕はその末裔なんですけど、ウチの祖父は若い時スマトラに農業指導者として渡りそして民族解放戦線に
参戦してしばらく捕虜になっていたとか…激アツなじーちゃんです。
あと、これも最近知ったんですけど、歌が上手で、すごく綺麗な声をしてたみたいなんですよね…
あと写真苦手(笑)
だから、皆さんが観てくださってる僕のアンジョルラスと僕自身のルーツは、まさに祖父から来たのかなぁと思ってます。
祖父は早くに亡くなったので僕は会ったことはないんですが、たぶん見守ってくれてるのかな。
そんな祖父が生前、とっても大切にしていた言葉も「平和」。
きっと、誰にも苦しみや悲しみが来ることのない世の中を来させる為に戦う、その熱い血潮を、僕は”歌”とともに受け継いだんで
しょうね。だからこんなにもアンジョルラスと一緒に駆け抜けられるんだと思います。
お祖父ちゃん、がばいありがとう。愛しとうよ。
②『Bring him home』の最中、アンジョルラスは何を見て、何を思ってるんですか?
コレをいろんな方から聞かれましてねぇ~、長くなるもんだから出待ち等ではちょっと答えきれないかなと思って、この場を借りて
お答えさせていただこうかと思います。
…本当に長いですよ(笑)
あの曲に入る前、グランテールが「世界は忘れないか?死など無駄じゃないのか?偽りじゃないか?」と言いますよね。
その時は「俺たちが死んでいくのは、争いや飢えのない、誰も悲しむことも苦しむこともない、誰もが笑顔で、穏やかに、幸せに、
笑顔で愛し合うことのできる日を来させる為だ」と、元来持っている信念をもってなだめようとするんですが、バリケードの上に
上がったその麓にフイイの姿が見えるんです。
彼は、ずっと付き合っていた女の子なのか、大切な人と見つめ合い、死に行くことを止める彼女をなだめて抱きしめるんです。
それを見てなんともいたたまれず、思わず目を背けてしまいます。
すると、左手から幼馴染のメアリー&ジャンヌが頼もしい笑顔で「大丈夫よ、あなたも休んで」と声をかけてくれます。
その声に一瞬だけ安堵し、見張りを続けようとするジョリを「今日はもう休め、明日に備えろ」と休ませます。
彼は怖いだろうに、僕にニコッと微笑んで、そのまま眠りに落ちます。
そんな彼らを見た時、初めて彼の心が揺らぎ、仲間のことがとても愛しくなるんだと思います。
フイイ…彼は当時としては身分の低い職人の家の人です。
19世紀当時、生まれや身分によって人生が決まってしまっていた時代。
一部の特権階級、王族や貴族、上流階級と呼ばれる人たちが搾取し、富を独占して贅沢で裕福な暮らしを送り、その他の全ての人々が
貧しく苦しい生活を強いられていた時代。
当然、まともな教育も受けられず、知識も得られず、就ける職も限られ、日々を暮らして行くのがやっと。
飢えは続き、生きる力も無くなり、劣悪な衛生環境の為に伝染病が蔓延し、怪我や病気をすれば職を失い、男は泥棒になり女は身体を
売るしかなくなる、または死を待つばかりの日々になる人生。
そこでアンジョルラス達が、”初等中等の義務教育が徹底され、あらゆる才能に同一の機会が与えられ、全てのものに教室が開かれれば、
この国の未来が変わる”と思い立ち上がりました。
彼らは裕福な家の出の為、苦もなく学生として学校に通い教育を受けられていました。
しかしフイイは違います。
彼は独学で読み書きを覚え、いろいろな書物を読んで知識を得てABCの活動に賛同していたのです。
そんな彼のことを、アンジョルラスは尊敬して気に入っていて仲良くしていたと思っていますし、原作でも彼はそのことを讃え、
フイイのことを尊敬していると言っています。
だから、愛するものとのそんな一瞬を目にしてしまい、「もしかして自分が引き込まなければ、フイイには別の人生があったのか?」
と心が揺らぐんです。
「貧しいながらも、でも読み書きのできる職人として少しは良い生活をし、あの女の子と共に暮らし、いずれは子を持ち、父親として
生きることもできたんじゃないのか?」
「ジョリやメアリー&ジャンヌにも、別の人生があったんじゃないのか?
それぞれに幸せに暮らせる毎日があったんじゃないのか?」
そしてグランテールの言葉。
「死など無駄じゃないのか?」
だが、自分達は何故立ち上がった?
こんな世界を変える為じゃないのか?
都市の通りに光が満ち溢れ、家々の戸口に緑の枝が茂り、諸国民は姉妹となり、人々は正しく、年寄りは子ども達を祝福し、
あらゆる人に仕事があり、あらゆる人に権利があり、あらゆる人に平和が与えられ、もう流血の惨事も無く、戦争もなく、
母親達が幸福になる、そんな世界を来させる為に立ち上がったんじゃないのか?
自分たちが死んで行くのはその日を来させる為じゃないのか?
そうだ、ならば自分が恐れているのは何だ?
僕らが死んだ後もこの世界の日々は続いていくということだ。
明日という日が来る。
その明日に僕らは居ないが、ここにいる者達の家族は居るのだ。
ここでこの場にいる全ての者が死んで行ったら、残された家族やその子供たちはどうなる?
男は泥棒になるが、女は身を売るしかなくなる。
貧困によって新たな悲劇がまた生まれる。
それだけは避けなければならない。
それだけは、僕らが望む姿ではない。
だから主よ、お願いです。
私たちはあなたの御心のままに従いましょう。
この戦いを引き起こした責任を取る為に、自分達の信念の為に、この命を捧げましょう。
ですが彼らは、ここにいるその手で家族は養っているもの、子供のあるもの、そしてその子供達を育てていく女性達は、どうか無事に
家に帰してください。
彼らこそがこれからのフランスを、”フランス共和国”を作っていくのです。
私たちはここで散るでしょう。
後の世の人々が立ち上がる為の灯火となる為に、この命の最期まで信念を掲げて戦い抜きましょう。
ですが彼らは帰してください。
これが、私が祖国フランスにできる唯一の”愛”です。
私はこの国を、この国の人々を愛しています。
ですからお願いです。
どうか、この願いを聞き入れてください ー
そうして彼は戦いに行き、最期に信念の象徴である赤い旗を掲げてその命を散らして行きます。
Bring him homeは、アンジョルラスにとっても「うちへ帰してください」という祈りなんだと僕は思っています。
…いやぁ、ものすごく長文になってしまいましたが、これが答えです。
あくまで僕の目から見たアンジョルラスの視点ですが、これからの公演を楽しむ要素の一つになれれば幸いです。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
それでは、博多に行ってまいります。
また帝劇で。
Rio